〜世界の国々の道路が、左側通行と右側通行に分かれている理由と歴史〜
なぜ日本の道路は左側通行なのか? 調べて分かった歴史の裏側
「どうして日本の道路は左側通行なのか?」が気になったので調査してみました。できる限り調べ上げましたが、ネットや文献からのデータや情報源は信憑性に欠けるものばかりで、まとめるのに苦労しましたが、雑学として読んで下さい。
世界地図でみる左側&右側通行の分布(青が左側通行の国)
- 76の(保護領を含む)国と地域が左側通行、163の国と地域が右側通行
- 世界の人口比率、左側通行35%、右側通行65%
- 道路の総距離の割合、左側通行10%、右側通行90%
日本はいつから左側通行なのか?
日本の江戸時代は左側通行だった事実を、裏付ける文献があります。
ドイツ人医師のケンペルは、1690〜1692年(当時 五代将軍綱吉)に日本に滞在して、日本での見聞をまとめた書物『日本誌』を執筆しました。
長崎街道、瀬戸内航路、東海道を巡ったケンペルは「日本の道路は清潔に保たれていて、行き先を示す標識が設置され、左側通行のルールが徹底されていた」と、日本の道路の充実ぶりに驚いたと著書の中で記されています。
このことから、少なくとも江戸時代初期には、左側通行が日常だったことが判ります。
日本の道路が左側通行の理由
では、なぜ日本は左側通行になったのでしょうか?
当時、日本の路地は大変狭い場所が多く、対面で右側通行になったときに、左腰に差している刀の鞘(さや)同士がぶつかってしまうので、「武士の喧嘩の種」によくなっていたようです。この無用な争いを避けるために、侍のルールとして左側通行が定着していたというのが最も有力で、説得力のある理由だと考えられています。
やがて、江戸幕府が終わり、明治時代に入って同じく左側通行の英国と友好を深めるために、左側通行を正式に交通法として定めたそうです。
実は以前、世界は左側通行だった
世界が左側通行だった最古の証として、古代ローマ(紀元前753年〜紀元前509年)の遺跡から発見した、ピストン輸送で走っていた荷車の轍(わだち)の形跡から、左側通行になっていた事が判明しています。
古代ギリシャや古代エジプトでも、交通インフラは充実していないものの、おおむね左側通行だったことを考古学の専門家が分析しています。
「利き手」と「通行方向」が密接な関係にあった
3万年前から世界人口の88〜90%が「右利き」だといわれていて、左利きの割合が右利きより多い民族は世界には存在しないそうです。この利き手と、世界が左側通行だった理由は密接な関係にありました。右利きの場合、左側の空間よりも、利き手の右側の空間が広くなるように、位置をとるのが合理的です。
中世以前の旅路は、極めて危険な環境下にありました。そのため、貴族や兵隊ではない一般市民でも、剣や槍などの武器を所持して、盗賊や敵から身を守りながら移動し続けなくてはいけませんでした。
前方から来る敵を迎え撃つには、利き手である武器を持つ右側に敵を回した方が都合が良く、鈍い左側が敵から遠ざかって安全なので、左側通行が原則であったということです。
では、世界はなぜ突然に右側通行が主流になったのでしょうか?
世界の90%の道を右側通行にした男
中世あたりまで世界は左側通行だったのに、今日の諸外国のほとんどが、右側通行になっているのは、ナポレオン(1769〜1821年)が世界に右側通行を定着させたという説が一般的です。
「史上最大の交通インフラ整備を行ったのはナポレオン」といわれていて、征服した地域の交通網の開発を積極的に行ったといわれています。ナポレオンは、フランス革命まっ最中の1792年に、正式にフランス国内外の右側通行を法令にしたという記録が残っています。
実際に上の世界地図の画像でも分かるように、現在でも左側通行を採用している国々のほとんどは、ナポレオンに征服されなかったイギリスと、その植民地であることが明白で、日本もナポレオンの支配がなかった国のひとつです。
なぜ、ナポレオンは右側通行に変えたのか?
ナポレオンが右側通行をルールにした理由として、ナポレオンが左利きだったからという説が根強く信じられています。色々調べてみると、他にもいくつか俗説があることが判りましたので、まとめて簡単に説明します。
その① ナポレオンが左利きだったから説
彼は左利きで、側近は彼の「剣の利き手」の左側から近づくように義務づけられた習慣が、征服していった国々に伝わったのが右側通行の始まり。(*しかし、ナポレオンの肖像画を画像検索しても、右腰に剣を差している絵は見つからなく、左利きだった事さえ疑問視されている)
その② ナポレオンの戦術のため右側通行をとりいれた説
当時の戦争は、正面同士で戦うのが一般的だったが、ナポレオンの軍隊は高度に動き回れるように訓練され、「一点突破、全面展開」を戦術としていた。まず「物理的に敵の戦力が薄くなる左翼」を集中攻撃、混乱させて攻略する戦略だったため、軍隊全体が右側から左方向に進軍するように、通常の移動も軍事訓練として右側通行を定着させた。
その③ 銃社会に変わったから説
銃を構えるには、物理的に目標に向かって上半身を左方向に向けなければいけません。剣の場合と反対に、左側に敵を回すと都合が良く、素早く攻撃できるので、右側通行を軍隊に定着させた。
剣から銃へと、携帯武器の変化とともに、対面交通の方向を変えさせたという論理的な見解だといえます。
この他、「荷馬車の大型化によって変わった説」などがありますが、「左側通行が右側通行に変わった理由」は、どれも決め手に欠ける俗説で留まっています。②と③番目に説得力があるようにあるように思えますが、どうでしょうか。
まとめ
- 日本の道路が左側通行なのは「侍のルール」が由来
- 中世までは、世界の道路は左側通行が一般的だった
- ナポレオンは、征服した国々に右側通行を広めていった
- ナポレオンが右側通行を採用した理由は、はっきりしていない
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