〜圧倒的なF1記録を持つ男の意外な人生〜

あの時ミハエル・シューマッハが号泣した本当の理由

2013年12月29日午前、F1王者のミハエル・シューマッハはフランスでスキー中に事故に遭い、頭部に致命的な傷を負ってしまった可能性があり、現在も(1月15日)昏睡状態に置かれています。

ミハエル・シューマッハという人物の名前は、おそらくF1好きでなくても聞いたことがあるでしょう。彼は「モータースポーツ史上最も偉大なドライバー」といわれ凄まじい成績を残していますが、本当にすごいのは、その背景にある彼の生き様でした。

それは、F1レーサーとして恵まれていなかった環境にも関わらず、頂点にまで上り詰めるものの、英雄アイルトン・セナの死によって受けた汚名と、長年闘い続けていたという真実です。

彼自身があまり語ることのなかった過去と、セナの死から背負ってしまった呪縛を乗り越えて名声を獲得した苦難など、大手メディアではタブー(?)とされる彼の知られざる人生について、是非皆さんに知って頂きたいと思い、今回執筆させて頂きました。


ミハエル・シューマッハ

ミハエル・シューマッハ
*英語圏ではマイケル・シューマッハと呼ばれる

1969年1月3日生まれ(45歳)
ニックネーム「シュミ」
身長 1.74m
体重 68kg
国籍 ドイツ
出身 フルト(ドイツ)
在住 ヴュフラン・ル・シャトー(スイス)

裕福ではなかったシューマッハ家

シューマッハ

F1ドライバーの出身は「金持ちの家」というイメージがあるが、シューマッハ家はそうではなかった。

レンガ職人の父親は息子ミハエルが4歳の時に、四輪自転車にエンジンを付けて改造したものをプレゼントするが、ミハエルが電柱にぶつかるアクシデントを機にカートクラブに入門させる事になる。

6歳の時、最年少でカートクラブのチャンピオンになるが、当時使用していたゴーカートは父親が処分されたカートの部品を集めて組み立てたものだった。

その後、父は本格的にカートレーシングを支えるために、カートのレンタル・リペアーの副業を始め、母親もカートレース場の食堂で働いていたにもかかわらず、ミハエルが当時必要としていた800DM(約€400)の新しいエンジンさえも賄えるほどでは無かった。結局、地元のビジネスマン数人から援助を得ることになる。

*アラン・プロストの父親も家具職人で、恵まれていた環境ではなかった事で知られている。


人生を狂わせたアイルトン・セナの死

ミハエルvsセナ

セナはF1ドライバーとして1世代前になるが、2人は4年間シーズンを共にする。1992年頃からメディアの前でセナがシューマッハに詰め寄るシーンが多くなる。

2人の間では互いに進路妨害・接触事故が数回あり故意だったとされ、確執も生まれた。繊細で神経質なセナとは決して盟友の仲ではなかった。

当時、シューマッハは若手F1ドライバーとしてメキメキと才覚をあらわし始め、セナの新たなライバルとして注目され始めた矢先に不幸が起きる。1994年イモラ・サーキット(サンマリノGP)でのセナの死亡事故だ。



宿命を背負ってしまった瞬間

セナ事故

クラッシュ直後のセナを横切るシューマッハ(右)。ミラーでセナを見ているようにもみえる。

セナがクラッシュした時、首位のセナに対して2番手を走っていたのはシューマッハだった。シューマッハは「生涯の目標でありライバル」のセナの死を目の当たりにする。

突然「越えるべき壁」を失った若干4年生ドライバーのシューマッハは、この瞬間からF1界を背負うことになり、追う立場から追われる立場に一転する。セナ亡き後、公私共に釈然としない不名誉なF1王者になってしまう。写真(上)は、まさに彼のF1人生の転換の瞬間をとらえたシーンだ。



セナの葬儀には参列しなかった

セナの死亡事故を間近で目撃したことによって、警察から事情聴取を受ける事になる。セナの葬儀にはシューマッハの姿はなかった。

その理由に「公の場で悲しむ姿を見せたくなかった、だってメディアは僕の涙を期待していたから」と語っているが、当時セナのファンから殺害予告を含めた脅迫を受けていたともいわれている。後にシューマッハはブラジルのセナの墓に妻のコリーナと共に訪れている。

結局1994年、セナが死んだシリーズに初のチャンピオンになったものの、会見では「このシーズンのチャンピオンは(自分ではなく)セナだ。このタイトルはセナに寄贈したい」と発言する。


その後、1996年にベネトンから有能なスタッフを連れ立ってフェラーリに移籍、本人も認める「勝つためにはなんでもする」信念を貫き、がむしゃらにタイトルを勝ち取っていく。

宙に浮くシューマッハ
デーモン・ヒル(左)との一騎打ちで宙に浮くシューマッハ。強引なドライブで知られ、悪評高くもある。


“亡霊セナ”との闘いの終焉〜ミハエルが号泣した日

2000年のシューマッハ

セナの死亡事故から6年経った2000年、生涯通算41勝でセナの記録と並ぶ。(この41勝はセナ・シューマッハ共に9年で達成している)

会見でジャーナリストにセナの事を質問され感慨深くなって泣き崩れ、同席したミカ・ハッキネンも思わず泣いてしまう名場面がある。

この時の涙は決して「亡きセナに思いを寄せた」からではないと筆者は思う。

まさに「事故死によって獲得した王者」の汚名を克服するための、彼の長年の執念と、F1界の重圧から解放された故だったと確信している。

セナの死後6年の間、F1業界はずいぶん変わってしまったが、シューマッハは独りセナの亡霊と孤高に闘い続けていたと垣間見れた瞬間だった。シューマッハにとって晴れて王者として胸を張れる日になった。その後、シューマッハは「F1界の皇帝」として真に輝き始め、信じられないほど、F1史の記録を塗り替える事になる。


F1史上、類を見ない圧倒的な記録を持つシューマッハ

F1レーサーとしてほぼ全ての記録を塗り替えたシューマッハー。今後もおそらく彼を抜くドライバーは現れないといっても過言ではない。フォーミュラーワンのオフィシャルホームページでは「モータースポーツ史上最も偉大なドライバー」と賞賛されている。

F1グランプリ歴代記録ベスト3

ドライバー活動時期 *年数チャンピオン優勝ポールポジション
1ミハエル・シューマッハ1991〜2006
2010〜2012 *17年
7冠91勝
/307戦
68回
2アラン・プロスト1980〜1991
1993 *12年
4冠51勝
/202戦
33回
3アイルトン・セナ1984〜1994 *10年3冠41勝
/162戦
65回

シューマッハが塗り替えたF1の記録一覧(すべて1位で2014年現在も保持)

通算記録年間記録連続記録
優勝91回
ポールポジション68回
ファーステストラップ77回
ポールトゥウィン40回
ハットトリック22回
表彰台155回
入賞221回
決勝完走241回
決勝周回16,824周
優勝13回
ファーステストラップ10回
ドライバーズチャンピオン7回
ポールトゥウィン8回
ハットトリック5回
表彰台17回
決勝完走回数17回
全レース完走(史上6人目)
ドライバーズチャンピオン5回
優勝7回
ポールポジション7回
ポールトゥウィン6回
表彰台19回
入賞24回
完走24回
開幕連続優勝5回

*ポールトゥーウィン=ポールポジションからスタートして優勝
*ハットトリック=ポールポジション&決勝でファーステストラップ&優勝


シューマッハ04

ミハエルは昏睡状態で闘いながら、1月3日に45歳の誕生日を迎えた。

彼の1日も早い回復を祈るばかりである。

公式サイト・ミハエル・シューマッハ
参考・Formula1



「F1ドライバーは生命保険に入れない」という噂がありますが、これは間違いで、F1レーサーには生命保険・傷害保険の加入義務があります。(参考・自動車保険ガイド

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